『日本国紀』 第一章 古代~大和朝廷誕生

 元号が変わる機に休日が続くことになって、長くまとまった時間が取れるというこの有り難いタイミングに読もうと買ってあった『日本国紀』をようやく読んだ。
すべてを一度に書ききれる気がしないので、第一章に着目して今回はここに自分の想いを記しておくことにする。いずれ第二章以降をここに掲載させてもらうかも知れない。

 日本の古代の面白さは、この国の誕生が神話と共に語られることだ。
何故か私は小学校に入る前からギリシャ神話や日本の神話などに興味があった。好きだったSFのような位置付けで読んでいたのかも知れない。考えればスターウオーズも神話のような描き方がされている。
しかしながらこの本はSFではなく、史実に出来るだけ忠実に、かつ著者の解釈も加えながら書かれている。真実を見た者は今いないし、書物を辿っても全てが真実なのかも不明であり詳細に書かれていないことも多々あるのだから個人の解釈が加わるのは当然のことと言える。
読み進むと特に海外の人の日本を見る目が面白い。
 「魏志」倭人伝には、日本人について、盗みをしない争いをしない、優しい人たちであると書かれているらしい。なんとも誇らしい。誠実で善良で勤勉であることが当たり前であってほしい。
しかし少し気になることもある。
 「倭」は賤字であり邪馬台国の「邪」や卑弥呼の「卑」もその類である。
つまり日本人の素晴らしさを認めてはいるものの、属国にすべく蔑んでみていたと言っていいだろう。これに気付いた祖先は「倭」ではなく「和」という文字を使うようになるなどの手直しをしていった。因みに私の生まれ故郷である石川県奥能登の輪島は元来「倭島」と言われ書かれていたという言い伝えもある。海の向こうの大国から見た最初に目に入った半島が「倭」の人が住む「島」に見えたのだろう。

 話を神話と日本の歴史の関係に戻そう。
当事の最初の「大王」(おおきみ)神武は後に「天皇」と呼ばれることになるが、「王」では大陸の彼の国の属国の統治者でしかないという見方もされてしまう。そうではないという呼び名を生み出したのは、私にとって日本における最初のヒーローとも言っていい聖徳太子である。
聖徳太子は、頭脳明晰であるだけでなく、法律の最初に「和」を説き民主政治を謳い、大陸ともペンで戦い、負けはしなかった。日出する処(日本)の天子(天皇)を認めさせたのだ。

 天皇家は神の子孫であるとは言われているが、神武天皇が初代というからには邪馬台国などの国と戦争をして打ち勝ち統治者になったと考えるのが自然だろう。この戦いも九州から瀬戸内へ畿内へ熊野へ大阪へとすごいスピードで長距離を動き回っている。一度負けた相手に向かい、取って返してリベンジを果たしているという。このパワーはどこから来たのか。
 巨人説というのがある。神の子孫はつまりフィジカル・エリートでもあったということだ。
 こういった伝説があるのは日本だけではない。
レムリア(ムー大陸)には身長8m寿命1,500年という人々が、アトランティスには身長3-4m、寿命700年という人類が存在したという説もあり、世界中の巨大な建造物やイースター島の巨像などを考えると生物学的にあり得るのでは、古墳もだからあんない大きいのでは、と想像してしまう。
 あり得ないと一笑に付してしまうには、余りにも惜しい。
 あり得ないのは、戦後日本を統治したGHQの洗脳である。日本の歴史を曲げて教科書に書かせ、敗戦のダメージを何代もの間に植え付けている。
優しい人は弱い人ではない。強いから優しく出来るのだ。

 日本の歴史のはじまり自体が神話と混在していると言われるが、表現や解釈の問題はあれども、ほぼほぼ史実と捉えて良いのではと思いたい。
この『日本国紀』を読むときも小学校5年生で最初に歴史を学んだときのように、つい自分でノートを作って年表に西暦・年号・天皇・出来事や気になったことを書き留めてしまった。
それだけ人の興味を引くのが自分のルーツであり、空想と事実の境なのかも知れない。
その伝えるべき何かがが未来に必ずつながると信じているからだろう。
いや、日本人の元来の特性は、少なくとも私の周囲には確実につながっていると確信する。

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